【目指せ!ブログ100記事‼】50歳・独身女性が原点に立ち返ります

50歳の挑戦

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こんにちは。元美容部員&元雑誌の美容ライターのきょうかです。昨日初めて現地にて「浜松餃子」を食べましたw

改めまして、本日より100記事投稿を目指すシリーズ【個人事業主編】スタートです。第1弾は、なぜ美容記事を書くことにしたのか…その原点について美容に関する経歴をご紹介します。

美容・化粧品に関する記事を執筆する理由

まず本記事では自己紹介で付け加えている「美容部員」と「雑誌の美容ライター」についてご説明します。そして、10年務めた前職の話、独立の決断、現在までを自分の過去を振り返りながらご紹介していきます。

美容部員

ここで言う美容部員」は化粧品メーカーに勤める販売員のことを指します。

今から30年前ほど前は、美容部員・BA(ビューティアドバイザー)のスクールはなく、化粧品メーカーに就職すれば肌の基礎からメイクのテクニックまで学べる時代でした。

スクールのように幅広く学ぶのではなく、そのメーカー・ブランドのことを販売トークも含めてとことん学べるため教育体制は万全

 

私は短大を卒業した後、21歳から28歳までの7年間計2社・3ブランドの販売員として働きました。

日本の化粧品会社は1社で複数のブランドを展開しており、例えば株式会社コーセーに入社してコーセーブランドからコスメデコルテへ移るようなイメージです。

 

外資系化粧品メーカー

私は百貨店の従業員として外資系化粧品メーカーの販売員になりました。そして、横浜髙島屋のギフトショップにて4年間働き、化粧品メーカーに転職しました。

百貨店の従業員としてではなく、化粧品の販売だけをやりたくなったのです!

 

国内大手化粧品メーカー・子会社

それまで4年間の経験が有利となり、スムーズに転職できました!

今度は国内の大手化粧品メーカーの子会社で、海外のメイクアップアーティストがプロデュースするメイクアップアイテム専門ブランドに配属されました。今でいう「M・A・C」や「BOBBI BROWN」と同じですね。

化粧品メーカー専属のメイクアップアーティストから、プロの技術を教わり、店頭では毎日タッチアップ(無料メイクアップサービス)をして販売へつなげていました。

そのメイクアップブランドが日本から撤退することとなり、部署異動のようにスキンケアブランドへ移りました。

この会社で私は当時から百貨店における化粧品売上NO.1の「伊勢丹新宿店」に配属され、ブランドが変わってもそのまま伊勢丹新宿店でトータル3年間勤務しました。

 

2社・3ブランドの研修にて肌の構造や仕組み、メイクの技術などを学んだおかげで、30年後の50歳で独学で挑んだ「日本化粧品検定2級」に合格できたのだと思います!

憧れの人

日本一の百貨店で働き、数多くの化粧品ブランドを目にしながら競争していく中で、“ひとつのメーカーやブランドにしばれらたくない‼”という気持ちが芽生えました。

同時に美容ジャーナリスト・美容ライターという職業を知ったのです!

私の憧れは当時も今も齋藤薫さんです!雑誌で見て記事を読んでファンになり講演会に参加して直接お話をして感激し、勢い余って私も雑誌の世界へ飛び込んだのですw

 

美容ライター

今や当たり前となりましたが、私が25歳の頃に美容専門雑誌が創刊され始めました。それまではファッション誌の企画として掲載されていただけでしたので、1冊まるごと美容雑誌女性は心を奪われました!

1998年に日本初となる「VoCE」に続き、2001年に「美的」、2004年に「MAQUIA」…続々と大手出版社から美容専門の月刊誌が発売されました。

美容専門雑誌

パソコンを使えない私が美容ライターを目指すことを決め、まず最初にやったのは“タイピング練習”です。当時、学生時代も美容部員もパソコンを使うことはありませんでした。パソコンがなくても勉強や仕事ができるのが普通でしたw

28歳にして人生で初めてパソコンを購入し、1か月でブラインドタッチを独学でマスターしました!

直接美容専門雑誌の編集部に電話しました!いわゆるアポなし営業ですw

創刊したてだったこと、当時フリーランスの美容ライターが少なかったことが重なり、運良く大手出版社の美容雑誌で専属の見習いスタッフとして雇っていただくことになったのです‼連載や美容以外のページも担当させていただきました。

2年の見習い期間が終了し、フリーの美容ライターとして活動することとなりました。

ファッション誌の美容ページ

当時、美容雑誌をかけもちすることができなかったので、お世話になった美容雑誌以外の仕事は、フリーランスの先輩から紹介いただき、ファッション誌の美容ページなどをやらせていただきました。

私は30代前半完全フリーの美容ライターになりました。当時も自宅から2時間半かけて都内へ通っていたため、ネットカフェに泊まったり徹夜もしばしば。

それでも毎日たくさんの化粧品に囲まれながら撮影や取材をしていたので、とても充実していました。

 

ところが35歳の頃…私は突然ライターを続けることができなくなりました。。。

文章を書く・編集をすることが未経験かつど素人の私には、大手出版社で働く社員さんやフリーランスの先輩方との生まれ持った才能やセンスの差を感じずにはいられませんでした。

化粧品が好きだという気持ちだけでは続けることができなかったのです。

こうした思いが積み重なり、とうとう私は家から出られなくなってしまったのです。

 

引きこもりから社会復帰

結局1年間引きこもっていました。携帯も解約し、友人とも一切連絡しませんでした。

親に事情を説明することもできず、社会復帰をするためにまずは日雇いのアルバイトをしました。今は法律で禁止されていますが、当時は単発の日雇いが簡単にできたのです。

その後、短期で確定申告時に税務署のアルバイトや派遣で地元蒲鉾店の通信販売の受付業務、生花店のコールセンターなどをしながら徐々に長時間働けるように心と体をならしていきました。

40歳を迎え、地元の広告制作会社に就職することができました!

広告制作会社

就職したのは不動産がメインの広告制作会社です。ライターを辞めて数年が経ち、広告(特に校正)の仕事をやりたいという思いから、家から近いということ、年齢的に最後の転職だと決めつけ安易に決めてしまいました。

就職といっても最初はアルバイトでの採用でした。入社半年後に正社員になり最終的に係長として10年間勤めました

40代の10年間を捧げたことになります!

この会社での努力や苦労、悔しさなどは次回の【個人事業主編②】でご紹介させていただきます。

 

【個人事業主編①】まとめ

私が美容に関する記事をブログで発信したいと考えたのは、“単なるコスメ好き”だけではなく、過去のさまざまな経験を活かしたいからです。

そして等身大の自分を通して「40代・50代の美を追求したい」という思いをお伝えしたく、遠い記憶や苦しかった時代を振り返りました。

販売員として学んだ肌や皮膚、メイクの基礎と、ライターとして幅広くかつ早く情報を得る雑誌作りの経験が私の美容の原点です。

そして今、ブログという自由な発信ができる時代に、10年以上美容と関係ない仕事をしたからこそまた新鮮な気持ちで美容と向き合い年齢を重ねたからこその美をお伝えしたいと考えています。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

おまけ

申し訳ありません。最後に告知をさせてください。

ココナラにて「40代・50代歓迎☆コスメ選びをサポートします」というサービスを出品しております。2023年12月末日まで、トライアル価格として通常3,000円のところ半額の1,500円にて出品しておりますので、ご興味のある方はぜひご利用ください。

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