こんにちは。元美容部員&元雑誌の美容ライターのきょうかです。
100記事投稿を目指すシリーズ【個人事業主編】の第2弾です。
本日は10年間勤めた会社について書かせていただきます。40歳で転職し、40代を過ごしました。謙虚さから始まり、自分の成長・レベルアップを実感し、やる気に満ちた時期を経て、時には落ち込み、たくさん悔しい思いをした結果、50歳で辞めることを決めました。
決して簡単ではなかったこと、とても大きな決断だったことを伝えたいです。40代以降の働く女性に共感いただけると嬉しいです!
50歳での退職は大きな決断
50歳・独身・女性・実家暮らし…。世の中的には「痛い」とか「みじめ」とか「寂しい」とか「キツイ」など負のイメージで語られることが多いですが、実際はどうなのでしょう。
私は50歳・独身・実家暮らし・子供なしです。今の私は世間が思うほど、痛くもないし寂しくもないしみじめでもありません!
「独身・実家暮らし・子供なし」だからこそ、生活のために心と身体を壊すほど我慢して会社員を続けようと思えませんでした。先のことはわかりませんが、思いっ切り働けるのはあと10~15年と考えたときに自分がやりたいことを自由にやって楽しく生きたいと心から思ったのです。
もちろん10年間勤めた正社員を辞めるのは、簡単に決められることでもなく大きな大きな決断だったのは事実です。
しかも辞めたいと本気で思ったのは1年前、49歳のときです。辞めた後に転職するかフリーランスになるか迷いました。フリーランスの道を歩み始めましたが、今でも転職する気持ちがゼロではないので、いつでもどんな方向にも動けるようしています。
何かを始めるのに遅いということはない!年齢を理由に諦めない‼という覚悟が伝われば幸いです。
40歳で広告制作会社に転職
では、10年間を前・中・後半に分けて年齢や職場環境、心境の変化をお伝えします。
ライターに挫折して数年が経ち、広告制作を通じて校正の仕事をしたい、文章を書くことはまだ抵抗があるけれど、文字・文章校正をまたやりたいと思えたことがきっかけで地元の広告制作会社を選びました。
ほかに、原付バイクで約10分という自宅からの近さも決め手となりました!
男女ともに20代の若手社員が多く会社全体が活気づいていました。最初に配属されたチームにも恵まれました。
入社後 初の転機
入社して半年後に株式会社となり、アルバイトから正社員になることができました!
しかし、私が入社して1年間は毎月のように退職者がいて“できる人”がどんどん辞めていき、代わりに入ってくるのは常識知らずの20代前半か40代・50代の扱いにくい経験者w。会社の雰囲気は目に見えて悪くなりました。
1年後には私は古いほうから数えた方が早くなり、会社や周囲の人への不平不満がつのっていきました。そして「辞めたい」と伝えました。
「辞めたい」と伝えたのは10年間でこのとき1度だけ。その後も本気で辞める覚悟をした10年目まで言ったことはありませんでした。
このときは結局チーム編成も代わり心機一転頑張ることになりました!
自ら変化を求めた中盤期
刺激もなくマンネリを感じた頃、6年目に第二の転機が訪れました!
オフィスの垣根を越えて勤務地が異なる別オフィスの営業サポートをすることを志願し認めてもらいました。これまでの業務範囲を超えてできる限りの“営業サポート”に徹し、これまで営業がやっていた事務作業をすべて請け負い、営業担当者には外回りや売上アップに専念してもらうようにしました。
この会社に共通のやり方は存在せず、チームにより業務の役割や分担が異なり、良い悪いではなく個々のやり方が尊重されていました。よく言えば放置状態です。
努力の甲斐があり、今まで以上に広範囲の業務をこなせるようになりました。慣れるまでは残業時間が1か月に100時間近くに達しましたが、自分自身で同僚との差を実感するほど成長できました!
その後、コロナウィルスが流行し緊急事態宣言が発令された頃に第三の転機が訪れます!
不満・悔しさの連続
入社8年目、自分が得た経験を同僚や後輩に伝えて職場全体のレベルアップを目指すため、別オフィスの営業サポートを離れ、元の体制(同じオフィス内の仕事)に戻ることになりました。
通常業務に加えて教育担当を任され、新人教育マニュアルを作成したり入社2年目の社員やパートさんに広告や校正の基礎知識を教える講習を月1回行っていました。
さらに、アウトソーシング構築のためのプロジェクトリーダーとなり、数か月の試験運用を実施するなど、上を目指してがむしゃらに頑張っていました。
アウトソーシングの導入も成功し、残業時間削減にもつながりました!それでも新しいことを始めることを断固として拒む雰囲気が根強いため、自分のチームにおいて効果を発揮しましたが、全体の残業時間削減とは言えませんでした。
そんな怒涛のような日々が過ぎた頃、周囲とのレベルや実績の差を主張するようになりました。その結果、昇格しましたがまだまだ上にいきたいという欲と上司・同僚への不満でいっぱいになったのです。
自己主張をするためにいろいろ考え、資料を作り、何度となく訴え続けました。私の話を理解してくれるものの何も変わらない日々が続きました。
誇らしい自分を認めた勢いのまま古巣へ戻り精力的かつ積極的に働きましたが、成果が認められないことへの不満ばかりが募っていきました。
年齢のせいではないかもしれませんが、40代後半になると悲しい気持ちは一切なく、流す涙は“悔し涙”のみ。考えること、泣くことに疲れ果ててしまいました。。。
そして、過敏性腸症候群に。症状が出始めたのは2022年12月頃でした。私は20代の経験から「身体に支障が出たらその職場を離れる(辞める)」が自分自身の決まり事なので、一気に退職へ気持ちが傾き始めたのです。
変化を受け入れる覚悟
退職すると決意するまで本当に悩みました。もちろん、“もう頑張ることせず生活のためと割り切り会社に残る”ことを考えました。現状を変えるべく上司や同僚を巻き込み行動しましたが年功序列制度が根強く何も変わらないと改めて思い知ったので退職という当然の結論に至りました。
情緒不安定の中、両学長 リベラルアーツ大学の動画と出合い、年齢を理由にすることなく“変化を受け入れる覚悟”ができたのです!
その動画2作品をご紹介いたします。
影響1
私の場合、残業代は支払われるけれど基本給が安く残業時間は無限…。遅くまで残っている人が偉い、頑張っているという考えが根付いている。残業60時間は当たり前。私を含め80時間を超える人が大多数でした。
成果を認めても適正な報酬を払わない、まさにこれ!です。私の会社では「できる人がやればいい」精神が根付いていて、これに疑問に思う人は排除されるという状態。たとえ昇格・昇給はできてもほ微々たるもの…。自分よりも先に入社した男性社員がいる限り、その人を飛び越えることも同じ役職につくこともできないと思い知ったのです。
この動画から…
を学び、
本当に不満を言うべきは会社ではなく自分だということに気づきました!
影響2
私の会社は有限会社から株式会社となり、その後合併やグループ会社化して知らないうちに会社が大きくなり過ぎて、大企業のような企業理念だけが独り歩きしていたように感じます。
両学長の言う通り、「長時間労働は身体と精神を壊す」、「長時間労働が常態化(仕組みが変わらない)」が一致していたのが私のいた会社でした。結果、年中人手不足・人が定着しない、全体のレベルが低い理由がはっきり分かりました!
「人として尊敬できない上司」がこの先も変わらないと分かり、人間関係のストレスが私の心身を壊したのだと腑に落ちました。
この動画から
・戦う必要はない
・相手に直してもらう必要もない
【個人事業主編②】のまとめ
人生最後の会社として選び勤務した10年間をご紹介しました。
そして50歳・独身・実家暮らし・子どもなしの私が出した結論は…
です!
この決断に至るまでの過程を見守って応援してくれた友人や恋人の存在は欠かせません!
挑戦と成長、不安、苛立ち…さまざまな葛藤を繰り返した40代。
50歳の私は自分の弱さを知ったことで、強く楽しく生きていこう‼と行動していきます!
このブログを通じて、自分の生き方をお伝えできることを嬉しく思います。これからも宜しくお願いいたします。
そして、次回から個人事業主・独立へ向けた事前準備から現在に至るまで、ブログ運営以外の視点からご紹介していきます。【ブログ編】では触れていない内容を中心にお伝えします!
おまけ
申し訳ありません。最後に告知をさせてください。
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